県道13号野田垣生線(壬生川新居浜野田線)にある天満峠。
私が小さなころ、このあたりは街灯が少なく人気もない場所であった。関の峠と並んで、山賊が出るとよく脅された。 その山賊は時間を経て、暴走族になった。民家の少ない峠を夜な夜な走る暴走族に対して、たとえ多くの事故が起こったとしても、市民はそれを社会の必要悪として強く咎めることはしなかった。 そんな暴走行為自体が2000年頃には時代遅れとなり、改造されたバイクの音を聞くこともなくなった。それと同時期に、かつてはこの峠から北の海岸に降りることができたが、それも不可能になった。 この海岸には良い釣り場があった。チヌやアコウの住む岩礁があり、それを狙う釣り人をたびたび見かけることがあった。また、干潮を見計らい、そこにある砂地を熊手で引くと、クルマエビが跳ね出てくることもあった。 今、その海岸がどのようになっているか私は知らない。
峠に話を戻す。 峠には仏崎展望所というものがある。ここは宇摩市の全貌を適切に把握することのできる重要な場所でもある。北には瀬戸内海、南には中央構造線が浮き出た山脈が望める。この海と山の間の僅かな平地に宇摩市民の住まいの大半が存在する景色は四国中の縮図でもある。 かつては海も山もこの宇摩市の生活の一部であり、多くの産業はそこで生み出されてきた。それが宇摩市では近代化に向け鉱山や製紙業に特化する地域に変貌し、他律的依存度が高くなった。市民は海や山と距離を取り経済発展を選んだ。 当時の社会が選んだ選択肢を否定するつもりはないが、一度そのようになった社会は空間的にも時間的にも不可逆性を帯び、社会の構造が変化したとしても前進し続けざるを得ない。これが日本中で見られる地方衰退の原因の一つであり、この宇摩市も例に漏れることはなかった。
そのようなことを考えながらこの天満山から宇摩市を眺めると感慨深いものがある。 フランスやスイスには世界的に評価の高い山々が存在する。シャモニーやグリンデルヴァルトはその観光資源を活かし、観光客にとって魅力的な場所であろうとする。景観を維持するために建築を制限し、不便であることを肯定する。先人たちが築いた歴史を評価し、それを追体験できるような機会を提供する。景観、歴史、体験は意識しなければ消失してしまうことを知っている彼らは、このような財産を受け継ぎ、強かにこの資本主義社会の中で常に一定の評価を維持し続けている。
私は宇摩市にも同様の可能性はあったと考えている。それはグローバルな視点に立った時にも見劣りせず一定の評価を得られる資産がこの町にはあるからだ。しかし、そのような資産も時間と共に徐々に減り始めている。先日、土居地区の渓流において稚魚の放流をやめたと聞いた。稚魚の放流自体は議論の余地があるだろうが、少なくとも、多くの人々にとって山はますます距離のある存在になっていくだろう。
最後にもう一度、天満山峠に話を戻す。 私の知る限り欧州では、名所となる場所には、その景観を活かした素晴らしい飲食店と宿泊所がセットで営まれていることが多い。天満山の峠でもかつては一時期、移動販売を行っていたことがあるらしい。宿泊は無理だとしても、四国で一番おいしいコーヒーが頂けるような場所になることを、ひそかに期待している。